2013年7月10日掲載
大正・昭和の歴史と街を見つめてきたアパートがありました。 

上野下アパートメントの歴史
上野下アパートは、大正12年(1923)9月1日の関東大震災後の復興事業のひとつとして設立された財団法人同潤会により建設されたアパートメントハウスのひとつです。同潤会は、大正13年(1924)から昭和16年(1941)の18年間に鉄筋コンクリート造のアパートメントハウス16棟を建設しました。上野下アパートは、昭和4年(1929)に、下谷区(現台東区東上野5丁目)に建設されました。他の同潤会アパートが、次々と解体、建て替えされる中、84年の歴史を有し唯一残存するアパートでしたが、老朽化に伴い昭和末期から始まった建て替えの検討を経て、いよいよ建て替えられる事になりました。今年平成25年(2013)6月から解体が始まり、平成27年(2015)夏には、地上14階建ての商業・住宅ビルとして生まれ変わる予定です。
 

上野下アパートメントは、東京メトロ銀座線稲荷町駅近く、清洲橋通りに接して静かに建っていました。このアパートだけが、昭和初期の時間に留まったような趣を醸していました。アパートは、4階建てで4階部分は軒のように張り出しています。1階が商店となっている一号館と、住宅で構成されてるい二号館の2棟からなっています。前庭には、井戸、水場、ポンプがあり、アパートの住民の井戸端で談笑する声が聞こえるようです。
一号館は、1階に商店店舗スペースがあり、2階から4階は世帯用住宅となっています。二号館は、1階から3階が世帯用住戸、4階は単身者用住戸と共用の水場、トイレとなっています。関東大震災後の震災に備えた堅固なコンクリート造で、室内にも大きなコンクリートの梁がある簡素な構成となっていますが、ドアやドア・ノブ、電灯スイッチや欄間、そして一階の集会所となっている部屋の受付の窓を飾る格子等に大正、昭和初期のモダニズムが感じられます。

古めかしく威厳も感じさせる電灯スイッチ
 
前庭には、広い水場とポンプがあります。
二号館正面、4階部分が軒のように張り出しています。
集会所の窓枠には、モダンな装飾が施されています。

上野下アパート正面

正面入り口

階段踊り場の手すりのデザインがモダンです。

世帯用住宅には、簡素な浴室と台所があり、狭いながらも機能的な構成となっています。大正モダンの面影が残る洋風の造りですが、床の間を思わせる欄間や押し入れがあり、和洋折衷式の造りです。上野下アパートには、近隣の稲神町会と連動した婦人会や子供会がありました。地域活動が活発に行われ、ラジオ体操、臨海・林間学校、近隣の下谷神社祭礼にも参加し、子供たちは上野下アパートの広々とした前庭や階段部分に集って遊んでいました。
けれども、84年余りを経た建物の老朽化に伴い、住民の高齢化も進み、入居者も次第に入れ替わるようになっていたため、下町の核を形成していた上野下アパートや地域の自治会活動も次第に低迷し、コミュニティも希薄化していました。そのため、安心快適な居住環境の確保やコミュニティの再生を目指して建て替えが計画されています。


二号館の世帯用住戸室内、建物の両翼の張り出している棟にあり、三方に広い窓があり、風通しの良い開放的な造りとなっています。床の間を兼ねた欄間の張り出し部分にはモダンに装飾が施されています。

キッチンの流しの横の小机の下側は米びつになってます。

黒い鴨居や柱と白い壁とのモダンなコントラスト

屋上には、洗い物のためのコンクリートの水場があります。

屋上からの見晴らし、花々の鉢植えも置かれています。

上野下アパートの古き良き時代

上野下アパート子供会 集会室の窓にて

上野下アパート婦人会 アパートにて
上野下アパート前面道路より消防署の火の見櫓を望む
清洲橋通りより巴里バーバーを望む
 
下谷神社のお祭りの山車 アパート前にて
 

上野下アパートメントの歴史
上野下アパートは、大正12年(1923)9月1日の関東大震災後の復興事業のひとつとして設立された財団法人同潤会により建設されたアパートメントハウスのひとつです。同潤会は、大正13年(1924)から昭和16年(1941)の18年間に鉄筋コンクリート造のアパートメントハウス16棟を建設しました。上野下アパートは、昭和4年(1929)に、下谷区(現台東区東上野5丁目)に建設されました。他の同潤会アパートが、次々と解体、建て替えされる中、84年の歴史を有し唯一残存するアパートでしたが、老朽化に伴い昭和末期から始まった建て替えの検討を経て、いよいよ建て替えられる事になりました。今年平成25年(2013)6月から解体が始まり、平成27年(2015)夏には、地上14階建ての商業・住宅ビルとして生まれ変わる予定です。