2015年2月16日掲載

広重も、月の松を通してこの風景をみていたのでしょうか。

清水観音堂の月の松
東叡山寛永寺の清水観音堂(重要文化財)内に「月の松」があります。
清水観音堂は、寛永8年(1631)に東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正により建立されました。比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門を守護すると伝えられている事に倣い、天海大僧正は寛永2年(1625)に江戸城の鬼門を守護するため、寛永寺を創建しました。そして比叡山になぞらえて上野の山を東叡山と称して数多くの堂舎を建立し、そのひとつとして清水観音堂は京都清水寺に倣って建立されました。
清水観音堂は、江戸時代から庶民に親しまれる名所となりました。特に境内に配された月の松は、江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」として描かれています。

歌川広重「上野清水堂不忍ノ池」(国立国会図書館蔵)

月の松は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。清水堂の舞台から見下ろした月の松には近江の竹生島の宝厳寺に見立てて建立された不忍池辯天堂と参拝の賑わいを望む事ができます。月の松は、江戸時代の植木職人の技の粋を凝らして作り上げた造形と見られていますが、新たに復元された月の松も、現代の造園技術を駆使して造形されました。訪れた人々は気付かずに通り過ぎていますが、境内の端には控えのための小振りの月の松も植えられています。
 


歌川広重「上野山内月のまつ」(国立国会図書館蔵)
 

歌川広重は、「東海道五十三次」「六十余州名所図会」や「名所江戸百景」等の多くの風景画を残した江戸時代末期の浮世絵師です。「名所江戸百景」は広重の最晩年の作品で、俯瞰や鳥瞰等の視点や構図を巧みに用いた代表作のひとつとして知られています。特に藍色を巧みに用いた表現は、ヒロシゲブルーとも呼ばれる清々しい表現として評価されています。広重は「上野清水堂不忍ノ池」でも、色鮮やかな藍色の池ノ端を背景に清水堂の舞台と不忍池端に立つ月の松を描いています。復元された月の松は、清水堂の舞台下に植えられているので、舞台の正面に松を見る事ができます。上野の山の周辺にはビルが立ち並んで大きく変貌しましたが、清水堂からの展望には江戸時代の風情を感じる光景が広がっています。


不忍池から望む清水観音堂と月の松

清水観音堂本堂

清水観音堂の月の松
東叡山寛永寺の清水観音堂(重要文化財)内に「月の松」があります。
清水観音堂は、寛永8年(1631)に東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正により建立されました。比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門を守護すると伝えられている事に倣い、天海大僧正は寛永2年(1625)に江戸城の鬼門を守護するため、寛永寺を創建しました。そして比叡山になぞらえて上野の山を東叡山と称して数多くの堂舎を建立し、そのひとつとして清水観音堂は京都清水寺に倣って建立されました。
清水観音堂は、江戸時代から庶民に親しまれる名所となりました。特に境内に配された月の松は、江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」として描かれています。

歌川広重「上野清水堂不忍ノ池」(国立国会図書館蔵)

 
清水観音堂については、「歴史を歩く- 清水観音堂の舞台に立つ」をご覧下さい。